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2004年11月09日

●電子書籍はどうしてウけないのかな?

意外と読みやすいとは言われます。
電子書籍は、なぜ飛躍できないのか~立花隆氏講演


「ΣBookにしても、LIBRIeにしても、期待されたほどは売れていない」。
そんな風にズバリ言ってのけるのは、評論家・ノンフィクション作家の立花隆氏だ。


11月8日に開催された電子書籍ビジネスコンソーシアムの講演に、立花氏が登場。
同コンソーシアムの特別顧問としての立場から、「なぜ、電子書籍はいまひとつ飛躍できないのか?」をテーマに、歯に衣着せぬ物言いで問題点を指摘した。


今から1年前、電子書籍ビジネスコンソーシアムが発足したころ、出版業界では「ついに電子書籍元年が到来した」との期待がふくらんでいた。
ΣBookやLIBRIeは、紙の書籍をすべて電子データに落とし込む「夢のサービス」を実現するためのツールとして、同コンソーシアムの期待を背負っていた。


それから1年。
それなりに電子書籍の市場規模は拡大しているが、読書端末の普及度を見る限り、期待されたほどではないというのが立花氏の見方だ。


「価格、読みやすさ、スピード(動作の反応速度)いずれも問題がある。デザインも、もうひとつという感じ。持っていて得意になるほどではない」


ハードウェア面以外にも、見直すべき問題はある。
立花氏は、「電子書籍といえば安いもの」という考え方を変えるべきだと説く。
確かに、印刷や流通のコストがない分だけ安価にできるという側面はあるが、それをウリにすることは「間違い」(同氏)。


 「紙の本は、ページ数が多くなるとハンドルしにくくなる。1000ページを超えると限界だ。しかし、電子書籍はいろんな統計資料とか、めちゃくちゃ情報量があるものも(記録媒体に)ぶちこめる。これは圧倒的な利点」


たとえば、国立情報学研究所などが所有するデータは国の財産であり、税金を活用して収集したものだから、国民が利用する権利があると立花氏。
これを電子書籍として利用できれば、ビジネスチャンスが生まれるという。
立花氏はほかにも、法律や医学の膨大な専門書を電子書籍に落とし込めれば、5万円、10万円のコンテンツはすぐに作れると話す。


「六法全書だけなら、(手のひらを広げて)せいぜいこのくらいの厚さ。だが判例集となると、ちょっとした法律事務所に行けば壁にずらーっと並んでいる。それが彼らの活動に直結して必要なわけだ。米国では既に、これらをどんどん電子化している」。
この種の電子書籍には、本当の専門家なら数十万、百万円といったお金を支払うはずだという。


(以上、全文はITmediaへ)

うーん、なんていうか、やっぱり本は紙であることによって完成された形だと思うのですよ。
本を読むのに、特別な機械はいらないし、特別なソフトもいらないし、特別なCodecもいらないし、少なくとも字が読めるなら、本を読むことは難しくないと思います。
もちろん、理解出来るかどうかは別にして。

で、本はすでに完成された形であり、本という形だけで完結しているものなのに、それをわざわざデジタル化して専用機械で読もうってんだから、相当に利便性が無いと魅力的なものにはならないと思うのです。
で、この場合、デジタル化の利便性としては、印刷代がいらないので安くなるとか、紙が必要ないので莫大な情報量を収録できるとか、まぁそんなとこが考えられますよね。
でも、上記ニュースの立花隆さんは、意味のない安売りはするなと言っているわけです。
このあたりは、音楽のデジタル化と同じで、日本の場合、様々な利権団体が複雑に絡み合っているわけですからね。
デジタル化した本を余りやすくすると、当然、書店などから反感を買うのは必至でしょうし。
そうなると、あんまり安くすることは出来ない。
かといって、安くしないと、既存の本との区別も出来ない。
これじゃ確かに、ジレンマに陥るだけで、効果的な値段設定が出来るとは思えない。

となると、やっぱり立花隆さんのいうように、超密度の情報を集積する媒体として利用するという方向の方が、個人的にも正しいと思う。
電子書籍でなければ出来ないこと、それが見えないうちは、電子書籍が爆発的に普及するとは思えないし。
実際、辞書や辞典はデジタル化されたものをパソコンで使っていますが、もうここ数年、紙製の辞書は見ていませんしね。
情報集積化の媒体としては、非常に魅力的なものに見えます。

で、それでもやっぱり普及するにはコンテンツが必要ですよね。
音楽でも、近年はデジタル化の波が広まって、音楽情報の集積化がものすごく流行しているわけです。
例えば、俺が愛用しているiPodだとかね、各社様々な音楽の集積装置を発売しています。
ただ、音楽は確かにこう爆発的に普及したわけだけど、本が同じようなことをしても爆発的に普及することはありえないんだよね。
なんでかっていうと、音楽っていうのは、情報が納められているメディアが完成していないから、ユーザーの手で自由に扱えるよね。
CDが大きいと思えば、MDに出来るし、MDじゃ音質にガマン出来ないとなればMP3を選択できるし、MP3よりもっと音質が欲しいと思えばWAVにしようって感じで、情報の価値は一緒だけれど、情報を管理する方法は、千差万別、自分の好きなように管理することが出来る。
自分の手持ちのコンテンツを好きなだけデジタル化出来るし、欲しいコンテンツはどんな形で手に入れてもいいんだから。
本を本って形で手に入れても、デジタル化するのは容易じゃないし。
音楽は、管理する形を変えたって、情報量的にはなにも変わらないから、今のようにデジタル化するブームが爆発的に起きていると思うんですよ。

それに比べて、本。
これはあまりにも完成された形なんだよね。
本は本だけですべて完結しちゃっているから、本の情報を、本以外の形にするっていうことが非常に困難なわけで。
今、手元にあるマンガをデジタル化しようっていったって、アイロン用意してノリをはがして一ページずつ地道にスキャンしていくしかないわけで、音楽のようにピッポッパとあっという間にデジタル変換したりすることは出来ない。
情報の形を変えるコトに対する恩恵が、あまりにも本と音楽じゃ違うから、やっぱり音楽のようにデジタル化した電子書籍が流行るとは到底思えないんだよなぁ。

まぁ、なにはともあれ、複数の辞書が一つに収まっていてくれるとそれはそれでありがたいので、シャープの携帯用電子辞典のように魅力的な商品を作ってくださいと願ってます。

……たださ、分厚い本を読破した後に感じる、爽快感は果たして電子書籍でも味わえるのでしょうか?
それに、どんどん本棚にたまっていく本を見て、ああ俺ってこんなに本読んだんだというね、一種の自己満足も味わえるとは思えないんだけど……

やっぱり、本って、偉大です。

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