●G5の「世界最速」主張は不適切だそーで。
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俺はMacintoshが大好きです。
SONYやDELLやHPやNECが束になっても叶わない、悪魔的な魅力を持つ独創的なデザイン。
AppleのデザインはAppleだけのものであり、Apple以外のメーカーにはマネすることさえ出来ないほど特徴的で前衛的なものがあります。
あくまでもコンピュータでありながら、本体の曲線から画面に映る1ピクセルに至るまで、Appleのデザインに対するこだわりがひしひしと伝わってくるのではないでしょうか。
Macintoshというコンピュータを買うとき、人はコンピュータを買うという意識は持ちません。
コンピュータではなく、Macintoshを買うのです。
Appleが世に送るMacintoshというコンピュータは、コンピュータでありながらコンピュータでは無い、言ってみれば一種、神の領域に属する唯一無二の存在ではないかと思うのです。
神の領域に属する完成された芸術品でもあるMacintoshは、その神々しいまでの圧倒的な存在感ゆえに、製作するAppleにもそれに相応しいだけの格式や能力が求められることになります。
その為にAppleは過去、互換機を作っていたメーカーを許さず、Macintoshとは唯一無二であるということを長い間守り通してきました。
研究に研究を重ね、ユーザーの声を聞きながら自己鍛錬を怠らず、AppleはMacintoshという伝統を貫いてきたのです。
苦行とも称されるMacintoshの新製品開発は、このようなApple社内で行われ、神々しいまでの芸術的な域にまで高められ、ついには至高の芸術品が世の中に送り出されるわけです。
新型Macintoshの持つ戦闘能力は、絶対防御を可能にしたと言われる初号機のATフィールドでさえも0.003秒以内に崩壊させるという未確認情報がまことしやかにながされるほどであります。
奇跡と呼ぶに相応しいコンピュータ、Macintoshであるわけですが、世の愚かなる民には価値あるものには相応しい対価が必要だということが分かっていないようで、Macintoshは高い高いと不平不満を述べるばかりで、シェアはついに3%を切るまでに落ち込んでしまいました。
神々しいオーラに包まれたMAC OSを使えるのだから、過去のハードやソフトが動かなくなることがいったいなんだというのでしょうか?
芸術には、忍耐と犠牲がつきものなのです。
たかだか一度や二度、過去の製品と互換性を完全に切り捨てたことなんて、些細な問題でしかありません。
Windowsのソースコードを考えてもみなさい。
DOS時代からの互換性をできる限り完全に維持しようと頑固に意地をはっているおかげで、十年前、二十年前のデータを現代でも読めるといいますが、果たしてそんな過去に縛られていてつまらなくないですか?
互換性を堅持しようだなんて考えるから、グッチャグチャの醜く汚い、知性のかけらもないソースコードになってしまうんです。
美しくない。
美しくないんですよ、Windowsは。
まったく、ユーザーにゴマすることばかり考えているから、Windowsは美しくなれないのですよ。
まぁね、そういう俺自身、昔は恥ずかしながらAppleはハードウェアを捨てて、Mac互換機を世の中に出せと主張してきました。
しかしその考えは、コンピュータではない、Macintoshなのだという、思想に触れることで自分がいかに軽薄で厚顔無恥な考え方をしていたのかと思い知らさせるに至ったのであります。
Appleの魅力とは何か!?
Macintoshの魅力とは何か!?
俺は、考えに考え三日三晩タバコをふかして、キャスリタ・フロックハート(アリー my LOVE主演)を見ながらティッシュ片手に考えようやく結論に至ったのであります。
Macintoshはデザインなのだと。
総合面ではWindowsにかなわず、絶対的な安定性はLinuxに遠く及ばず、言語を扱わせたらTRONの方が圧倒的優位性を持つわけで、Macintoshの魅力は、デザインしか無いのだと。
Windowsの方が豊富に優れたソフトを揃え、大量のハードウェアの中から自分で好きなように好きな機能をつけかえられ、思ったことを実現できる性能を安価に入手出来るとしても、Macintoshのデザインは手に入らないのです。
OSとディスプレイとキーボードとマウスと本体とスピーカーと……Macintoshを構成する全てのパーツが練りにねられたデザインの上に存在するために、どれだけ性能が低かろうと、64bit=AMDと言われようと、マウスにホイールが無く右クリックが無いとしても、MacintoshはAppleが作ったものでなければ意味がないのです。
もし仮に、インテル陣営にAppleが来るとしたら、現在のAppleデザインMacintoshは消えてしまう可能性があります。
仮にAppleデザインMacintoshが無くならないとしても、インテル陣営にMacintoshが移ったら、WinPCとの性能差が事実上無くなり、今までのようにG5-1.8Ghzはペンティアム4-3GHzよりも性能が高いなんてトンデモ広告も出せなくなりますし、同じパーツを使っているハズなのにどうしてWinPCが10万以下で買えるのにAppleはこんなに値段が高いんだという苦情を正面から受け取らなくてはならなくなり、AppleデザインMacintoshが壊滅的打撃を受ける可能性があるのです!
だとしたら、インテル陣営に来る以上、長年、たくさんの人が望んできたApple互換パソコンが登場するのではないかと予想するのが自然ではないかと思うのです。
しかし、しかしですね、安価になる可能性は高くても、それで果たしてMacintoshと言ってもいいのでしょうか?
個性的にして神々しいまでに完成されたAppleデザインが消えてしまったMacintoshが世の中に出回ってもいいのでしょうか?
いや、それは否!
断じて否である!
やはり、MacintoshにはAppleデザインが不可欠であり、それはOSだけの問題にあらず、キーボードもマウスもスピーカーもディスプレイも何もかもが調和の取れた統一デザインでなければ、真のMacintoshではないと俺は思うのです。
Macintoshを買う人間は、コンピュータを買うのではないのです!
Macintoshを買う人間は、Macintoshを買うのです!
Adobeに見放され、Macromediaが去っていき、Microsoftに過半数の株式を握られているとしても、AppleにはAppleの道を進んでもらいたいと俺は願っています。
俺は決してSOTEC製のMacintoshなんて見たくは無いのですよ~!
……と、一見するとMacintoshをバカにしているように見えますが、その実、俺は金が貯まったら必ずMacintoshを買うでしょう( ̄∀ ̄)
それもバカ高いAppleデザインのMacintoshを。
Macintoshは性能ではないのです。
Macintoshはソフトの量ではないのです。
Macintoshが欲しいから、俺は買うのです。
……次のノートはコレの15インチくらいが欲しいのですよ、ええ。

コメント
Macのデザインは軽くてあんまり好きくない。
一番好きなのは、NT4!(w
お堅いデザインの方がコンピューターらしくてイイね。
Posted by: 名無しさん | 2004年03月31日 03:00