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2004年03月25日

●祭りのあと

 みんなで買ったボロボロの車――白いマーク2のトランクに荷物を積み終わると、俺はうーんと背伸びした。
 ポカポカ陽気の良い天気で、見上げるとススで黒く濁った壁が見えた。茶色いトタン屋根に、乳白色だった土壁。水を出せば、三十秒は待たないと赤茶けた水が消えることは無いし、共同トイレだってしょっちゅう詰まる。風呂なんて贅沢品ついてないし、クーラーつけようたって壁が壊れちゃう。小学生が殴っても破れるような薄い壁で、女なんか連れ込めるわけがないサイアクの防音設備。
 どこをどう間違えて、この21世紀まで生き残ってしまったのか不思議でしょうがない二階建ての建物だけど、いよいよ来月には取り壊されることになった。
 四年前、俺が大学に通うために入ったオンボロ下宿。最初は十人以上はいたはずだけど、日をおうごとに一人減り、二人減り、最後まで残っていたのはたったの六人だ。しかも、新規入居は全く無し。
 つまり、この四年間、ほぼ同じメンバーだけでこの下宿は占拠していたのだ。
 大学の卒業式は、つい先日終わった。
 俺達は、今月中にここを出ていかなければならない。だったらってことで、みんな同じ日に出発することに決めた。
 そう。
 今日はいよいよ、出発する日なんだ。

「なんだ。荷物はもう積み終わったのか?」
 マーク2の隣で、愛するバイクの調子を見ていた杉本が立ち上がった。
 背が高く、短い髪に褐色の肌。大排気量のバイクを操るだけあって、両腕にはたくましい筋肉がついていた。一見すると痩せっぽちに見えるが、この下宿に住む人間の中では一番の力持ちだ。
「ほとんどの荷物は宅急便で送っちゃってるし。そんな大した荷物は残ってませんから。杉本さんこそ、その布団、本気でバイクに積む気ですか? それこそ宅急便で送るもんでしょ」
 バイクの横には、無理矢理布団を詰め込んだ青い貧乏くさい布団袋が転がっていた。あんな大きなものをバイクにつんだら、ものすごく不安定になってしまう気がするんだけど。
 俺の不安なんかよそに、杉本は人なつっこく笑う。
「心配すんなって。ただ家に帰るだけじゃつまんねえだろ? だから、ちょっくら遠回りして帰ろうと思ってんだ。俺、枕と布団が変わると眠れねえタイプだから。布団は持ってねえとな」
「……野宿でも?」
「もちろん、野原に布団ひいて寝るぜ」
 たまぁに、どこまで本気か分からなくなるよ。でも、この人のことだ。ホントに布団ひいて寝るんだろうな。
「竹原さんっ! 荷物落とすから、受け取ってくださいっ!」
 見上げると、チビッコ正人が窓から顔を出していた。
 サラサラの猫っ毛に、クリッとした大きな瞳の同い年とはとても思えない童顔。背格好だって、まだまだ中学生並みだろう。下宿に来た当初は、極度の潔癖性で、ゴキブリ、ハエ、蚊、タバコ、酒は一切ダメ。三十分に一回は手を洗うし、トイレットペーパーだって自分の背丈以上に使っていた。俺は絶対、コイツは生き残れないと思っていたが、人間変われば変わるもので、まさか最後まで残っているとは思いもしなかった。
 もっとも、正人に勉強を教えてもらわなければ、俺は四年間で卒業できた自信も無いんだけど。
「いいですか!? 落としますよ!?」
 巨大なドラムバッグが窓から飛び出してきたが――俺も杉本も、受け取る気なんかこれっぽっちも無かった。
 グシャアッとバッグは砂利をしいた地面に激突。
 ああ!
 頭上から、大きな悲鳴。
「た、竹原さん!? なんで受け取ってくれないですか!?」
「誰も受け取るなんて言ってねーよ。なぁ?」
 杉本が笑って同意を求めてきた。
「正人~、警察になるんだったら、まずは人を疑うことから覚えろよ」
 ひ、ヒドイ! 正人が窓から首を引っ込めた。
「全く、これだからお坊ちゃんはダメだよな」
 杉本が肩をすくめる。
「お前ら……朝からうるせーよ。もうちょっと静かにしてろよな」
 玄関から聞こえた弱々しい声。
 振り返ると、タカさんが大きなリュックをしょって出てきた。
 ヨレヨレのTシャツに穴だらけのジーンズ。髪は伸び放題で、顔面を覆う無精ひげ。まるで一昔前のヒッピーみたいな人だ。二浪しているため、俺よりも二歳年上。本当だったら、まだ大学に行けるのだが、卒業することはやめるらしい。下宿に住む6人のリーダー的存在で、いつもみんなから頼りにされていた。
 どうやら、昨日の宴会をまだ引きずっているようで、いつもみたいなハイテンションにはなれないようだ。
「ったく、大体、予定だと午後からみんな出発するんだろ? だったら、もうちっとゆっくり寝かしてくれればいいのによ」
 ぶつぶつ文句を言いながら、リュックをマーク2のわきに降ろした。
「ゆうじぃいいいいいいいいいいいいいっ! 俺の初号機返せぇえええええええええええええっ!」
 辺り一帯を覆い尽くすような、せっぱ詰まった叫び声。知らない人なら、一体何が起こったんだと疑ってしまうほどの必死な声だった。
 一階の窓から、手に紫色のロボットを持った男が飛び出してくる。流れるような長髪で、モデルと見まごうようなスタイルを持ったヤツ。好きな食べ物は女と豪語し、ナンパの帝王と自称する裕司だ。ヒモに就職すると言ってたけど……ヒモって職業なのか?
 今にも死にそうな笑顔で、こちらにロボットを掲げて走ってくる。
「かねこぉおおおおおおおおお! 初号機が欲しけりゃ、俺を捕まえて見ろ~っ!」
「裕司! テメエ、初号機に傷がついたら、絶対コロスからな!」
 下宿一階の一番端っこに位置する窓から、でっぷりと太った男が顔を出した。アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」を心の底から愛する男、金子だ。レイちゃんと呼ぶヒロインのTシャツやグッズで身を固め、俺と同い年のくせにまだ女を知らない。ってか、現実の女に興味がない、下宿の中でも一二位を争うヤバイ奴。
「竹原、初号機隠しとけ」
 裕司は笑いながら、俺に初号機を投げた。どうにか受け取ると、俺はすかさずマーク2の中に初号機を放り込んだ。杉本とタカさんがわきを固め、ちょっと見ただけでは、初号機の姿は見えない。
 金子は玄関からドスドスと地面をならして、俺達の所にやってきた。
「お、俺の初号機は!?」
 あまりに真剣すぎる表情が、逆に笑いを誘ってしまう。
 見ると、裕司は再び窓から金子の部屋に侵入を試みようとしている。
「いや、俺らは知らねーぜ? 裕司がまだ持ってんじゃねえか?」
 杉本は素知らぬ顔で呟く。
「お前らなぁ、俺は二日酔いで頭がキツイんだよ。朝からガタガタ騒いでんじゃねえよ」
 タカさんは本当に二日酔いで辛そうだが、口の周りが引きつっている。気を抜けば笑ってしまいそうだ。
「竹原、お前、ホントに知らないのかよ!? 隠してたりしたら、しょーちしねえぞ!?」
「知らない知らない、ホントに知らないって。何で、こんな時までお前をからかわなきゃいけないんだよ」
 金子の眉間にしわが集まっていく。
「かねこぉおおおおおおおおおおおおおっ! レイちゃんは頂いたぞぉおおおおおおおおお!」
 裕司が窓から顔を出して、赤い髪の女の子の人形を振り回していた。
「――それはアスカだ、バカヤロゥ! 俺のレイちゃんと一緒にするなぁああああっ!」
 金子は再び玄関に走っていく。
 俺は思った。
 金子……お前、怒るポイント間違ってないか?
「全く、最後の最後まで、騒がしいヤツらだな」
 タカさんは、呆れたようなため息をついた。

 玄関前の駐車場に全員が揃っても、まだ金子はふてくされた表情のまま、大切そうに初号機とレイちゃんを持っていた。
「じゃあ、全員で写真撮りましょうよ。竹原さん、カメラの準備出来てます?」
 正人に言われるよりも早く、俺は中古で買った自慢の一眼レフカメラに三脚をつけて、準備万端で待っていた。
「ああ。準備はオッケだぜ。さぁってと、それじゃ皆さん、テキトーに並んでよ」
 ぞろぞろと下宿の前に全員が移動していく。俺は、カメラの中を覗きながら、全員がフレームに収まるようにセッティングを続けた。
 一番左で、初号機とレイちゃんを顔の高さまで持ってきて、幸せそうに微笑む金子。
 その隣で、ビシッとポーズを決めて、まるで女に送っているような流し目の裕司。
 タカさんはいつも通りの自然体、だらっと全身の力を抜くように立っている。
 杉本はムキムキッと上腕部を持ち上げて、力こぶをアピール。真っ白い歯が、けっこー不気味だ。
 いきなり視線が下がって、正人がお上品に敬礼している。まさか、こんな奴が日本の平和を守ることになるとは、俺は将来が不安になるね。
 一番右に、俺のスペースを充分にとって、全員がフレームに収まった。
 セルフタイマーをセットする。
 カウントが始まると同時に、俺はみんなの元へ走った。
 正人の肩に手を置いて、イェーと親指を立てて突き出す。
 ジリジリジリっとカウンタが進み――カシャッと、シャッターが切れる音が響いた。

「コケそうで怖いな。ちっと無理しすぎか……俺が事故ったら、テメエら、ちゃんと線香あげに来いよな」
 バイクにまたがった杉本は、笑いながら俺達に向かって中指を立てた。改造したマフラーから爆音が響いて、バイクはすっ飛んでいった。タンデムシートに縛り付けられた布団袋がゆらゆらと、不安になるくらい揺れていた。
 杉本のバイクには、いつも悩まされていた。杉本がコンビニの早朝バイトをしていたため、朝っぱらから爆音で叩き起こされることはしょっちゅうだったから。ようやく安心して眠れると思ったら、もうここで眠ることは無いんだった。

「んじゃ。みんな元気で」
「何カッコつけてんだよ。この童貞ヤロー。いい加減、アニメなんか見てんじゃねーぞ」
 裕司が毒づく。
「お前こそ、エイズなんかになるんじゃねーぞ」
 金子が笑う。裕司も笑った。
 金子は裕司と握手を交わしてから、原チャリをふかして出ていった。神奈川のゲームメーカーに就職が決まったって言ってた。
 部屋中に貼られたエッチなアニメ少女のポスターが見れなくなると思うと、ちょっと寂しいな。ポスターをはがすのは、最後の最後まで嫌がっていたが、一昨日、裕司と二人でポスターをはがしたらしい。

「俺はフェリーで一泊かぁ……まぁ、冬になったら遊びに来いよ。俺がスキー教えてやるからな。あと、ついでに女の口説き方もよ。金子は絶対連れてこい。俺がアイツに、現実の女ってのを教えてやるから」
 荷物は宅急便ですでに送っている裕司は、手ぶらでぶらぶらと歩いていった。裕司の後ろ姿がどんどん遠くなっていく。くわえていたタバコを投げ捨てた姿が見え、すぐにカーブの向こうに消えた。ナンパ師とヲタクじゃ性格だって正反対なのに、金子と裕司はいつも一緒にいたような気がする。

 正人は、体と同じくらいあるバックを引っかけて、オンボロ下宿に向かって、しっかりと敬礼した。
「四年間、お世話になりました!」
 下宿が壊されることに一番反対したのは、正人だった。
「僕がここに住み続けます! そうすれば、日本の法律だったら住んでいる人がいる限り、そう簡単には壊せないんだから!」
 昨日の夜も最後まで言い続けていたが、いつしか眠りにつき、覚悟が出来たらしい。
 おかしなもんだと思う。最初は一番嫌がっていたくせに、今じゃ一番ここに居たがるなんて。
「僕、みんなのこと絶対に忘れませんから。だから、みんなも僕のこと、忘れないでくださいね」
 何度も何度も振り返りながら、正人は歩いていった。
 ずっとずっと見えなくなるまで、正人は後ろを気にし続けていた。

 みんなの姿が見えなくなるのを確認して、俺もマーク2のエンジンを動かした。
 タカさんは、タバコを吸いながら、一人でぼんやりと下宿の前に立っていた。
「じゃあ、俺もそろそろ出発しますね」
「ああ。気をつけてけよ」
 タカさんが振り返った。タバコをくわえたまま、笑顔で俺を見ていた。
「今まで、色々あったけど、俺、ホントにここで四年間過ごせて良かったです。タカさんやみんなと一緒に過ごせて、ホントに良かったと思います。だから……」
 俺は、タカさんに近づき、手を差し出した。
 タカさんの手も自然に俺の手を掴んだ。
「今まで、ありがとうございました。――お元気で」
 タカさんは何も言わなかった。
 ただ、頷いただけだった。
 俺はマーク2の運転席に座って、アクセルを踏み込んだ。
 車が欲しくて、でも俺には金が無くて――そうしたら、みんなが足りない分を出してくれた。だから、このマーク2は、俺のもんじゃない。みんなのもんなんだ。
 今さらながら、もの凄く実感する何かがあった。
 マーク2が下宿の敷地を出て、道路の上を流れ出した。
 バックミラーを見ると、タカさんの姿が映っていた。
 タカさんは、いつまでも手を振ってくれた。
 カーブを曲がって見えなくなるまで、ずっとタカさんは手を振っていてくれた。

 マーク2の中には、タバコの匂いが充満していた。
 俺はタバコを吸わないが、吸う奴が多かったせいだ。
 たった15万のマーク2。ボロボロの安い車。
 みんなで海にいったり、山にいったり、買い出しにでかけたり、大学までみんなで行ったり、マーク2には思い出が詰まりすぎている。
 赤信号にひっかかり、俺は車を止めた。
「バッカ、他に車来てねえだろ!? 赤信号なんか怖くねーよ! ガンガンすっ飛ばしていっちまえ!」
 杉本の声が背後から聞こえてくる。
「ねぇねぇ、カーノジョ。俺らと一緒にメイクラブしなぁい?」
 外に向かって話しかけているのは、女=ヤるとしか頭にない裕司。
「竹原、安全運転で頼むよ。レイちゃんが交通事故にあったら困るから」
 自分のことよりレイちゃんの金子が、グチグチうるさい。
「僕、免許は持ってるんだけど、ほとんど運転したこと無いんですよね。竹原さん、今度運転教えてくださいよ」
 正人~、お前ちょっとトロいとこがあるからな。もうちょっと素早く動くようになれよ。じゃねえと、危なくて車なんか運転できないぞ。
 助手席にはタカさんが座っていた。黙って、みんなの会話を楽しみながらタバコを吸っている。
 グッと、不意に目の前がぼやけた。
 俺は信号が青になると同時に、目の前にあった駐車場に飛び込む。
 馬鹿みてえだ、俺、何してんだよ、馬鹿みてえじゃねか。
 マーク2を止めて、ハンドルに額をつけて、俺は身動きがとれなくなってしまった。
 もう、我慢できなかった。
 心の底から吹き出る何かを、押さえつけることは、もう俺には無理だった。
 みんなが恋しかった。
 みんなに会いたかった。
 みんなで馬鹿な話をしながら、酒を飲んで、タバコを吸って、女のことで自慢しあって、勉強でグチを言い合って、ケンカして、笑って、ナンパして、騒ぎたかった。
 もう一度、帰りたかった。
 出来るなら、またみんなで暮らしたかった。
 叶わないことは分かっていても――そう願わずにはいられなかった。
 お祭りは終わったんだ。
 分かっていても、認められないものが、心の中で騒いでいた。
 終わるなんて、思ってもいなかった。
 いつまでも続くもんだと思っていた。
 帰りたかった。
 あの、オンボロ下宿に帰って、みんなに会いたかった。
 もう誰も待ってはいないのに――俺は無性に、帰りたくなった。
 まだ、俺にとっての家は、あそこにあるから……。
 みんなで買ったマーク2のシートにもたれて、俺はしばらくボンヤリしていた。
 心が落ち着くまで、俺はじっと動かなかった。

 みんなは今頃、どうしてるんだろう?
 今まで気にする必要もなかったことを、俺は気にしだしていた。
 心の中に浸透していく。
 終わったという事実が、浸透していく。
 俺は、マーク2のハンドルを握りしめた。
 ギアをドライブに入れて、アクセルを踏み込む。
 ボロッちいエンジンが悲鳴を上げた。

 さぁ、行こう。

<了>

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コメント

いいですね、こうゆう匂いのある話すきです。
短編の自主映画とかにしたい感じです*
POOさんが何者かよくわかってないですが、
がんばってほしいです☆

ラチさん>
こんばんわ、初めまして!
今じゃほとんど公開してない小説ですが、ご感想をいただき、本当にありがとうございます。
やっぱり、褒められるとガゼンやる気がでますね!
俺が何者か……うーん、それはですね、俺には7つの秘密がありますので、誰も自分も分かりません(´ε`*)
また遊びに来てください!
いつでもお待ちしております~(*´д`*)

あー 学生時代にもどりたいなー こんな事あったなー しみじみするよねー 
 高知出身で違う大学だった彼女が俺の家に一緒に住んでて、卒業式終わった後、引っ越す当日まで一緒に片付けて、引越しと同時に彼女を福岡空港まで送ったんだよね。飛行機が飛ぶ直前で放送で呼び出される前まで空港の喫茶店いて… それじゃバイバイってね。 彼女のお気に入りのサボテンを持って、携帯カメラで撮ったな…  仕事で福岡空港何度も行ったけど、搭乗口の近くの喫茶店見るたびに思い出してた… 
 
 あ これ記事になるかなー って思った。ぶひ
これってPOOさんの本当にあった話?だったら、すごくいいですね。やっぱり大学帰りたいな 

なりけんさん>
いいなぁ、なんか素敵な恋愛の思い出って感じですねぇ……(*´Д`)
ええと、まぁ小説は日記みたいなもので、あくまでも単なる趣味ですから。
ヒマつぶしに書いちゃって、しまっておくのももったいないですからね、置いておくだけですヽ(´Д`;)ノ
なので、あんまり深くはお気になさらぬよう……
それと、もちろん実話じゃないですよ(*^ー゚)ノ

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